日吉大社の境内に、社殿は無いが、周囲が掃き清められた石碑だけが祭られているところがあります。
石碑には、”悪王子社”と刻まれており、なんだか、非常に気になりますね。そこで、AI(Gemini)に尋ねてみました。
以下、Geminiの答え。
日吉大社の境内、東本宮エリアの近くにある「悪王子社(あくおうじしゃ)」に社殿がなく、石碑(石柱)だけが立っている理由。それは、かつて存在した社殿が焼失した後、「あえて再建されなかった」という歴史的な経緯によるものです。
背景には、戦国時代の悲劇と、その後の日吉大社の復興の歴史が深く関わっています。
1. 織田信長による「比叡山焼き討ち」
元亀2年(1571年)、織田信長による比叡山焼き討ちにより、延暦寺の守護社であった日吉大社の社殿もすべて灰燼に帰しました。この際、悪王子社の社殿も失われました。
2. 復興の優先順位と「省略」
信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康の支援によって日吉大社は再建されます。しかし、かつて「山王二十一社」として壮大な規模を誇ったすべてのお社を、元通りに再建するのは容易ではありませんでした。
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主要な**「山王七社」**(西本宮・東本宮など)は立派な社殿が再建されました。
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しかし、それ以外のお社については、社殿を作らずに**「石碑や祠のみ」でその場所を記す形**にとどめられたものが多くあります。
3. 「悪王子」という名の意味
「悪王子」と聞くと悪い神様のように思えますが、ここでの「悪」は現代の悪いという意味ではなく、**「強力な」「勇猛な」**という意味です。
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祭神: 素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒魂(あらみたま)
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荒魂とは、神の荒ぶる側面、すなわち非常に強いパワーを象徴しています。
まとめ
現在、石碑だけが置かれているのは、「かつてここに強力な神様を祀る立派な社殿があった」という歴史の記憶を今に伝えるためです。
日吉大社の広大な境内には、他にも同じように石碑や小さな祠だけで祀られているお社が点在しています。これらは、かつての巨大な神域が、苦難の歴史を経て今の形になった名残でもあります。






